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古代メソポタミア(前半)の解説のまえに
この記事では,古代メソポタミア(前半)について押さえるべきところを解説します!メソポタミアで強力であった民族の名前とそれぞれの興亡の流れを押さえることが大切です。
この記事では,基本の流れを分かりやすく解説し,さらに,キーワードを重要度別に色分けしました。
赤…センター試験レベル
黄色…国公立・中堅私大入試レベル
まず,歴史のあらすじを把握し,その後に単語を覚えていってください。
メソポタミア文明 どこで?
メソポタミアとは、川の間という意味を持つ言葉です。
二つの川の名前は覚えてください。
北から、
- ティグリス川
- ユーフラテス川
です。
地図を見ておきましょう。二つの川の間の地域がメソポタミアですね。
ティグリス川・ユーフラテス川の位置関係を覚えるにあたって、しょうもないといえばしょうもないけれど、意外と頭に入る覚え方があります。
メソポタミアの地理的特徴=開放的
メソポタミアは開放的な地形です。地図を見てもわかる通り,メソポタミアに対してはあらゆる侵入経路がありますよね。それを開放的な地形と表現するのですね。
昔は移動手段も発達しているわけではありませんから,陸路で侵入しやすく,かつ川が流れており農耕に向いているメソポタミアには,様々な民族が入ってきたのです。
開放的な地形により,どの民族が支配するかが、どんどん変化していきました。
ちなみに、エジプトの地理的特徴は閉鎖的といえて、この対照的な地理的特徴に起因する支配面での差異・花開いた文化の性格の差異は、論述問題のテーマとしても取り上げられることがあります。
ご興味のある方は、こちらの記事をごらんください。
メソポタミアで栄えた民族
民族が入ってきた順番が重要です。
とりあえず先に言っちゃいますね!!
- シュメール人
- アッカド人
- アムル人
- (ヒッタイト人)
- カッシート人
の順番です。
ややこしい、面倒くさい、だるいと思うかもしれませんが、ストーリーで覚えてしまえば意外と大したことはありません。まずは、物語を読むつもりでまずは登場人物の名前を暗記することよりもあらすじを押さえてみてください!!
シュメール人の都市国家
シュメール人は国を形成しました。
国と言っても、シュメールという名前の国があったわけではありません。シュメールは民族の名であり、シュメール人は都市国家をティグリス川・ユーフラテス川の間の地域に分立させたのです。
これが古代オリエント文明のはじまりといえます。
紀元前3000年ごろの出来事です。
都市国家と聞いてもピンとこないかもしれませんが、いってしまうと、農村と領土国家(いまのほとんどの世界の国々)の中間形態です。
都市国家で有名なのは、ウル・ウルク・ラガシュです。地図を確認しておきましょう。
シュメール人は優れた文化の作り手であり,いまもなお受け継がれている文化を作り出しました。
- 太陽暦
- 60進法
- 1週7日制
- 占星術
- 楔形文字の使用
などです。ちなみに同時代に花開いたエジプト文化に対して,実用的な文化と言われています。
シュメール人は都市国家を分立させていたんでした。結局は、この都市国家間での争いが絶えず、そこに、アッカド人が攻めてきたので、滅んでしまいました。アッカド人の時代です。
アッカド人のメソポタミア南部統一
アッカド人は、シュメール人の文化を引継ぎました。サルゴン1世のときにメソポタミア南部を統一しました。統一とは地域内の勢力を手中におさめることですね。シュメール人はメソポタミアを統一はしていないんでしたね。
サルゴン1世はこんな顔をしていたみたいです。
https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12229724964.htmlより引用
アッカド王国の成立は、紀元前2400年ごろです。
と覚えましょう。
かの有名なハンムラビ法典を用いたアムル人による全メソポタミア統一
アッカド人の次に入ってきたのは、アムル人です。
アムル人は,バビロン第一王朝(古バビロニア王国ともいわれます)を建てました。
あのかの有名なハンムラビ法典を築き上げた民族です。ハンムラビ法典を象徴するコンセプトとして「目には目を歯には歯を」という言葉が有名ですよね。ハンムラビ法典は、罪と同じだけの罰を与えようという同害復讐法です。ですから、すごく平等なんだなあと早とちりしてしまいがちなのですが、実は、ハンムラビ法典は、同害復讐法でありかつ身分法でもありました。ですから、身分の差も裁判に考慮されていたんですね。法の下での平等は保たれていません。。。
このハンムラビ法典をしきつつ、全メソポタミアを統一したのが、ハンムラビ法典を作ったハンムラビ王です!
ハンムラビ王はこんな顔!!
https://www.fashion-headline.com/article/19527/6より引用
また、ハンムラビ法典の成立は紀元前1800年ごろのことです。
と覚えましょう。
鉄器を使うヒッタイトが攻めてきて3国が分立
せっかくアムル人が統一を成し遂げたのですが,鉄製武器使用のパイオニアであるヒッタイトが攻め入ってきて、アムル人の支配は終わりを迎えます。ヒッタイトが,強かったんですね~~~。そりゃそうですよね。鉄をもたないアムル人と鉄製武器をもったヒッタイトが戦ったら,ヒッタイトが勝つことは想像に難くありませんよね。。。
ヒッタイトが,アムル人が建てたバビロン第一王朝を滅ぼしたのは前16世紀の事です。
で覚えましょう。鉄製の様々な武器をもっていたヒッタイトは強かったなあというイメージです。
こうして,ヒッタイトがメソポタミアの情勢を大きくぐらつかせ、その結果、メソポタミアと小アジアには
- ヒッタイト
- ミタンニ
- カッシート
がそれぞれ王国を建てるのです。地図で場所を押さえてください。
またまた、しょうもない覚え方です。(笑)
ひ→ヒッタイト み→ミタンニ こ→(無理やり)カッシート
縦書きでも、横書きでも位置関係を教えてくれます。
個人的にないよりはあったほうが覚えれると思うんですが、、、(言い訳)
ヒッタイトは小アジアに落ち着いたんですね。それぞれの王国については次の記事で解説していきます。では、最後にまとめです!!
古代メソポタミアの流れ(前半)のまとめ
- シュメール人の都市国家
- アッカド人のメソポタミア南部統一
- アムル人の全メソポタミア統一
- ヒッタイト・ミタンニ・カッシートの3国分立
移り変わりの経緯を抑え、重要語句を暗記しましょう!!
とりあえず、今回はここまでです!続きは、世界史 古代メソポタミア文明(後半)をわかりやすくをお読みくださいね!!