目次
ユダヤ教の成立の解説のまえに
この記事では,ヘブライ人がいかにしてユダヤ教を成立させていったのかを,周辺地域とのかかわりを説明しながらわかりやすく解説します。古代オリエント世界の歴史も少し復習しながら進めていければと思います!語呂合わせもつけていますので是非ご活用ください。
基本の流れを分かりやすく解説し,さらに,キーワードを重要度別に色分けしています。
赤…センター試験レベル
黄色…国公立・中堅私大入試レベル
最初に歴史のあらすじを把握し,その後に暗記作業に入って下さいね。
海の民の侵入
ヘブライ人は,東地中海沿岸のシリア・パレスチナ地方で活躍したセム語系の民族です。セム語系民族が繁栄するきっかけとなるのは,前12世紀ごろの海の民による侵入でした。
謎多し海の民ですが,非常に強く,当時,ヒッタイトとエジプトがせめぎ合っていたシリア・パレスチナ地方における両勢力の影響を弱めたんです。
いい機会ですから,もう少し時代をさかのぼってみましょうか。
ヒッタイトの前は,アムル人によるバビロン第一王朝でしたね。前16世紀に鉄器をもったヒッタイトに滅ぼされたのでした。
で覚えるのでした。
全然覚えていない!どうしよう。。。と思った人は,是非,世界史1|古代メソポタミアの流れ(前半)をわかりやすくで知識を確認しておいてくださいね!!
セム語系3民族の活躍
ヒッタイトとエジプトがせめぎ合っていたシリア・パレスチナ地方における両勢力の影響を弱めた結果,勢力をつよめたのが,
- アラム人
- フェニキア人
- ヘブライ人
の3民族なのでした。
アラム人は陸上で活躍し,フェニキア人は海上で活躍したんでしたね。そして、今回の記事でフォーカスするヘブライ人はユダヤ教を築くのでした。
それぞれの特徴を抑えるために以下のフレーズを使ってください。復習です。
テンポよく音読しましょう!はい!!
陸で活躍/アラム人/海で活躍/フェニキア人/宗教作る/ヘブライ人
陸で活躍/アラム人/海で活躍/フェニキア人/宗教作る/ヘブライ人
陸で活躍/アラム人/海で活躍/フェニキア人/宗教作る/ヘブライ人
もっと詳しくチェックしておきたいという方は、^^^^^世界史4|古代オリエント時代の東地中海世界の諸民族についてわかりやすくでこの機会に確認しておいてくださいね。
さて,前置き・復習が長くなってしまいましたが,この記事の本題である,ヘブライ人がユダヤ教を成立させる過程の説明に入っていきたいと思います!
ヘブライ人の動向
ヘブライ人は前1500年ごろ,パレスチナに定住し,一部のヘブライ人はエジプトに移住しました。
(ここでのパレスチナとは現在のパレスチナ自治区のことをピンポイントで指し示すわけではなく,シリアの南部一帯をさす言葉として使われています)
地図を見ておきましょう。
https://blog.goo.ne.jp/ganbaro433/e/6462c514ae4ee53fa95fccd2897c58f5より引用
エジプトに移住したヘブライ人たちは,エジプトの王様であるファラオから圧政をうけました。前13世紀,苦しむヘブライ人たちは,モーセに率いられエジプトを脱出します。
モーセがヘブライ人の先頭にたって発している台詞というイメージです。いかがでしょう。。。
この事件のことを,「出エジプト」といいます。このときモーセは,ユダヤ教の唯一神であるヤハウェより十戒を授けられたと言われています。十戒は、神から与えられた戒律であり、ユダヤ教の基礎とされています。
出エジプトの様子です。
http://japantoday2.blogspot.com/2016/07/blog-post_75.html?m=1より引用
イスラエル王国の成立
こうして,エジプトの圧政から逃れたヘブライ人たちは,自分たちの国をつくりました。誰かがつくった国ではなく,自分たちが作った国なら,迫害されたりつらい目にあうこともないだろうということでしょう。そうして,ヘブライ人たちが新しく立てた国が,イスラエル王国(ヘブライ王国ともいわれます)です。
ヘブライ人は,自分たちのことをイスラエル人と呼んでいたので,ヘブライ人=イスラエル人,同様に,イスラエル王国=ヘブライ王国です。
このイスラエル王国は,ダヴィデ王・ソロモン王のときに特に繁栄しました。
イスラエル王国の分裂
しかし,ソロモン王の死後,イスラエル王国は,二つに分裂します。
- 北にはイスラエル王国
- 南にはユダ王国
が建ちました。
位置関係は50音順です。上(北)から「い(イスラエル王国)→ゆ(ユダ王国)」ですね。ちなみに、後々説明する、滅亡の順番も同じで、「い(イスラエル王国)→ゆ(ユダ王国)」です。
早速,地図の確認です!
https://yamatake19.exblog.jp/19066402/より引用
イスラエル王国の分裂後,二つの王国はそれぞれの歴史をもちます。それでは,イスラエル王国・ユダ王国がそれぞれどのような歴史を歩んでいったのかを見ていきましょう。
北のイスラエル王国
前722年にアッシリアによって滅亡します。これは,当然,アッシリアが栄えて他の国々を支配下におさめていった時代と同じ時期に起こりますから,アッシリアが繁栄した時期をおさえておけばイスラエル王国が滅びた年代もわかりますよね。
アッシリアが前7世紀に全オリエントを統一し、前612年に滅亡したという、年代・年号は、
で覚えましょう!(アッシリア人はなんでもかんでも無駄遣いしたみたいなイメージです。。。アッシリア人の皆さま、すみません。。。)
前8世紀後半は,前7世紀に全オリエントを統一するアッシリアが征服を進めていく時期であるということです。イスラエル王国がアッシリアによって滅亡したということと,アッシリアの全オリエント統一と滅亡の年代を知っておくことで,イスラエル王国が滅亡した時期は常識的に察することができるということです。この点と点が繋がる感じが世界史を学ぶ醍醐味ですよね。
南のユダ王国
ユダ王国は、前586年に,新バビロニアによって滅亡します。新バビロニアのネブカドネザル2世によってバビロン捕囚が行われたからです。
一歩ずつ説明していきますね。
まずは,新バビロニアについて思い出しましょう。
新バビロニアは,アッシリア王国から独立した国です。アッシリアは被支配民に対して高圧的な恐怖政治を行なったため,新バビロニア・メディアの連合軍に倒されるんでした。
こうして、アッシリア支配が排されたオリエント世界では,4国が分立します。
新バビロニアは,4国分立していた際の,4国中の1国ですね。
ここでいう4国とは,
- エジプト王国
- リディア王国
- 新バビロニア王国
- メディア王国
でしたよね。
一旦まとめますね。
あのイスラエル王国を倒したアッシリアは新バビロニア・メディアの連合軍にたおされます。そして,新バビロニアは,生き残っていたユダ王国を滅ぼし,その住人に対してバビロン捕囚を行ないました。
それでは,バビロン捕囚とはなんでしょうか?バビロンは,新バビロニアの首都の名前です。捕囚とは捕らわれることですよね。つまり,バビロン捕囚とは,ユダヤ人が,新バビロニアによって,バビロンに強制移住させられ,とらわれた事件です。バビロン捕囚を行なったのは,新バビロニアの最盛期のときの王様である,ネブカドネザル2世です。
所詮,新バビロニアも被支配民族に対しては,アッシリアと同じように,強権的な政治を行なったわけですね。(アッシリアを反面教師にしたらよかったのになあという感じが否めませんが。)
そうして,新バビロニアも,間もなくアケメネス朝ペルシアによって滅ぼされます。アケメネス朝ペルシアの統治は,異民族に対して寛容でした。(さすがに歴史から学んだのでしょうか。)
キュロス2世は,バビロン捕囚を終わらせ,ユダヤ人を開放しました。
バビロン捕囚の開始・終了の年代は覚えておきましょう。
新バビロニア王国のネブカドネザル2世によって前586年にユダヤ人は捕らえられ、前538年にアケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって解放されるんです。これをまとめて、
で覚えてください(笑)
開放されたユダヤ人の一部は,イェルサレム神殿をたててユダヤ教を成立させました。
イェルサレム神殿です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%83%AC%E3%83%A0%E7%A5%9E%E6%AE%BFより引用
ユダヤ教がどのような宗教なのかについては、世界史用語解説3|ユダヤ教で解説しているので、ぜひご一読ください。
ユダヤ教の成立 まとめ
- 出エジプトをしたヘブライ人が、イスラエル王国をたてる
- ダヴィデ王・ソロモン王の時に繁栄するが、2つに分裂
- 北のイスラエル王国がアッシリアによって先に滅亡
- 南のユダ王国はアッシリアを倒した新バビロニアによって滅亡→バビロン捕囚
- バビロン捕囚がアケメネス朝ペルシアのキュロス2世によって終わらされる
- 開放された人々によって,イェルサレム神殿の建設=ユダヤ教の成立とされる
最後まで読んでくださってありがとうございました。世界史を学習する皆さまに向けての,世界史の勉強法の記事もあるので,是非とも読んでみてください。
これからも世界史を頑張っていきましょう!ではまた!!