目次
古代エジプトの解説のまえに
エジプトはその閉鎖的な地形によって、異民族の侵入を比較的うけにくく、時に周辺民族の支配下におかれることもありましたが、国内の統一を保つ期間が長かったです。
ですから、まずは、古代エジプトは基本的にエジプト人による統治という前提を押さえてしまってください。その上で、時たま起こる周辺民族の侵入や支配の経緯をポイントごとに理解していきましょう。
この記事では,基本の流れを分かりやすく解説し,さらに,キーワードを重要度別に色分けしています。
赤…センター試験レベル
黄色…国公立・中堅私大入試レベル
最初に歴史のあらすじを把握し,その後に暗記作業に入って下さいね。
「エジプトはナイルのたまもの」とは?
「エジプトはナイルのたまもの」という言葉、一度は聞いたことがあるとおもいます。これはギリシアの歴史家であるヘロドトスが、ナイル川の定期的な氾濫によって土地が豊かになりそのおかげでエジプトが他の地域に比べて繁栄しやすかったことを指し示すのに用いた言葉なんです。
ナイル川の場所は正確にわかりますか?ナイル川の位置をチェックしておきましょう。
https://ameblo.jp/worldhistory-univ/entry-12022308964.htmlより引用
地図からもわかりますが、エジプトは、東側のメソポタミアとはシナイ半島でちょっとつながっていますが、侵入経路は限られています。これが、エジプトが閉鎖的な地形だと言われる所以です。
エジプトはナイル川との大きなかかわりのなかで繁栄してゆきました。
エジプトが初めて統一される過程
まず最初に、各地域に県(=ノモス)ができます。ノモスは地域ごとの政治的まとまりと説明されます。
しかし、小さなグループで出来る仕事は限られていますよね。そこで、ナイル川の治水工事を行うために住民たちを共同労働させるために、強力な指導者が必要とされ、それらのノモスは統合へと向かっていきます。強力な指導者である王はファラオと呼ばれました。
結果、前3000年ごろに、エジプトではファラオをトップとする統一国家がつくられました。
ここで、ヨコのつながり(=同時代で他の地域がどうなっていたのか?)に目を向けてみましょう。エジプトで統一国家ができた前3000年ごろ、メソポタミアではシュメール人が都市国家を分立させていたのでしたね。
※古代メソポタミア・オリエントが不安だなあと思った方は、以下の記事でぜひ復習していただければと思います。
世界史1 古代メソポタミアの流れ(前半)をわかりやすく
世界史2 古代メソポタミアの流れ(後半)をわかりやすく
さっと流れを確認できる構成にしておりますので、ぜひご覧くださいね!
古代エジプトの文化
また、エジプトでは独特の文化が生まれました。みなさんご存知のミイラを筆頭とする、来世を意識した文化が栄えたのです。
- ミイラ
- 死者の書
- 神聖文字
- 太陽暦
を押さえておくとよいでしょう。
なお、死者の書は、パピルスに示されています。パピルスは英語のpaperの語源と言われています。
ロゼッタストーンとは
さて、古代エジプトの来世を意識した文化のうちのひとつとして、先ほどリストにはいっていた神聖文字の解読を可能にしたのは、ロゼッタストーンの存在であるということもおさえておきましょう。ロゼッタストーンをまずは見てみましょう。
上の画像のように3つのパートに分かれておりそれぞれのパートには違う文字で同じ内容が書かれているんです。
- 上段には神聖文字
- 中段には民用文字
- 下段にはギリシア文字
が書かれています。
フランスのシャンポリオンは、ロゼッタストーンに刻まれていたギリシア文字を手がかりとして、神聖文字の解読をついに成功させたのでした。当時、ギリシア文字は既に読解されていたんです。(ちなみに、ロゼッタストーンはナポレオンのエジプト遠征の際に発見されました。また、シャンポリオンは、18世紀末から19世紀半ば前くらいの人ですから、古代エジプトと同時代の人だとは勘違いしないでくださいね。)
さて、文化の話ばかりでしたが、古代エジプトの歴史の流れの説明に戻りますね。
上記のように、前3000年ごろには統一国家が作られましたが、エジプトは、アッシリアに支配されてしまいます。前7世紀の話です。
アッシリアは、ヒッタイト・ミタンニ・カッシートの3国分立時代には、ミタンニに服属していたのですが、前14世紀にミタンニから独立し、前7世紀には全オリエントを征服し「世界帝国」を築いたのでしたね。
古代エジプト 3つの時代
世界史では、前3000年ごろから前7世紀の間の十数世紀間でも特にエジプトが栄えた3つの時代を取り上げます。
- 古王国時代
- 中王国時代
- 新王国時代
の3つです。シンプルで覚えやすいですよね。
それぞれの時代がどんな時代だったのかを押さえるだけです!気楽にいきましょう。
エジプト 古王国時代
首都はメンフィスです。地図を確認して下さい!
フライング気味ではありますが、中王国時代・新王国時代に首都であったテーベの位置を抑ましょう。そして、メンフィス~テーべ間にアマルナが位置しているということを確認しておいてください。後々の記事中でも地図を確認してくださいというので、欠かさずこの地図のチェックをお願いしますね!地図は何度も見ることで身についてきます。
メンフィスはナイル川の下流の方(下エジプトとよばれる地域)にあります。国の一番の要所である首都をメンフィスという異民族の侵入を受けやすいところにおくということは覚悟のいることのような気がしますが、裏返して言うと、侵入の恐怖をあまり感じていなかったということでもあります。エジプト自体が閉鎖的な地形であったからといえます。
古王国時代についての重要なポイントがもう一点。
古王国時代はピラミッド時代とも呼ばれるということです。
その名の通り、ピラミッドがたくさんつくられた時代です。ピラミッドの建設者は王様です。エジプトでは神権政治が行われており、王はファラオとよばれました。最も有名なのは、クフ王のピラミッドです。
まとめると、古王国時代には神権政治においてトップであるファラオが権力を示すために巨大なピラミッドを作らせたということですね。
神権政治とは、神の権威を借りておこなわれる政治です。王は神そのものであったり、神の代弁者であったりします。
エジプト 中王国時代
首都はテーベです。テーベの位置を地図で確認しておきましょう。メンフィスが下エジプトにあるのに対して、テーベはナイル川の上流域(上エジプト)に位置しています。
しかしながら、中王国時代末期には、本格的な侵入を受けます。メソポタミア方面からのヒクソスによる侵入です。結果、ヒクソスの支配下におかれます。
しかし、エジプトも黙って支配下に置き続けられるわけではありません。エジプトは王朝を復活させ、そのまま新王国時代へとつながっていきます。
エジプト 新王国時代
首都はテーベです。中王国時代に引き続き、テーベを首都としていますね。念押しで地図をチェックです!!
無事、異民族ヒクソスの支配から独立を奪還したエジプトは広大な地域を支配下におきます。そのなかで、歴史に名を残すファラオたちが登場します。2人紹介します。
それが、
- アメンホテプ4世
- ラメス2世
の二人です。
アメンホテプ4世
いきなりですが、アメンホテプ4世は、史上初の宗教改革を行った人です。
宗教改革がなぜ重要なのでしょうか?
日常生活において宗教と生活が密接に関わっているように体感する機会の少ない日本で生活を送っているとピンと来ませんが、エジプトでは神権政治が行われていたのですから、宗教をコントロールすること=政治と言っても過言ではないほどに宗教は大切なところに位置していたものと言えます。
では、アメンホテプ4世の宗教改革について解説していきます。
アメンホテプ4世の宗教改革の内容と意義
エジプトでは元来、アモン神をトップとする多神教崇拝が行われていました。
アモン=ラーは首都であったテーベの神様です。そのアモンの代弁者として勢力を持っていたのがアモン神官たちです。
アメンホテプ4世はアモン神官たちの権威が自らの権威を超えることを防ぐために宗教改革をしました。
まず、アモン神官たちの勢力がつよいテーベから物理的に距離をとります。テーベからテル=エル=アマルナ(アマルナのことです)へと首都をうつしました。
また、アモン=ラーを頂点とする多神教崇拝を禁じて、アトンを唯一神とする一神教崇拝を強要しました。アトンを唯一神とすることによって、アトンへの信仰を集め、ほかの神々(とくにアモン神)への信仰を否定したわけですね。
宗教改革後も神権政治は続きます。アメンホテプ4世は自らのことをイクナートンと名乗りました。イクナートンとは、アトンに愛されし者という意味をもつ言葉です。ファラオ自身が唯一神に愛される者だと主張し、権力を回復しようとしたわけですね。
少し長くなったので、アメンホテプ4世の宗教改革について再度まとめます!
エジプトでは古来から神権政治がおこなわれていました。そのうちに首都テーベのアモン神官たちが権力を持ち始めました。その権力を削減するために、首都を移し、アトンを唯一神とし、自らをイクナートンと名乗り集権しようとした!ということですね。
加えてもう一点、宗教改革に関することで重要ポイントがあります。文化の話です。
この改革によって、古い伝統にとらわれない写実的なアマルナ美術が生みだされた、ということを覚えておいてくださいね。宗教改革によって、芸術面においても伝統から離れた新しい動きがうまれたわけです。型に当てはめる芸術から似せる芸術へといったイメージでしょうか。
アマルナ美術の代表例であるエジプト女王ネフェルティティ像です。(作品名は覚えなくても大丈夫です。あくまでもアマルナ美術が写実的という印象をつけていただくことが目的です!)
http://kurohaku.com/2017/11/12/antient-greece/より引用
きれいに作られてはいるとは思いますが、写実的ですよね。
ラメス2世
ヒッタイトと互いに争い、現存する最古の講和条約を結びました。
ヒッタイトと言われてもパッとどういう民族かの説明が思い浮かばない人は、この機会に復習しておきましょう。
ヒッタイトは、鉄器使用の先駆者であり、結果的に小アジアを支配した民族です。ヒッタイトはバビロン第一王朝を滅ぼし、その結果、小アジア・メソポタミアには、ヒッタイト・ミタンニ・カッシートが分立したのでしたね。
その後のエジプト
エジプトはその先も王朝を保っていきましたが、メソポタミアから勢いよく支配領域を広げるアッシリア王国の統治下にはいりました。アッシリアが間もなく滅亡すると、エジプトはまた独立しました。
古代エジプトの流れ まとめ
- 古王国時代
- 中王国時代(ヒクソスの侵入で終わる)
- 新王国時代(アッシリアによる支配で終わる)
の大きな流れに加え、各時代の特徴をそれぞれ抑えましょう!